ファミリーヒストリー!自分史!

今日の名古屋は曇りから夕方から雨が降り出しました。

現在NHKで放送している番組で「ファミリーヒストリー」がありますがyamasanはなかなか見れないですが機会があれば見ているのです。

それに影響されたかもしれないですが自分の母方の祖先を知りたくて今日yamasanの叔父、94歳なんですが訪ねました。意外と祖父は生前恐い印象でしたがよく知っていて亡くなる前に病室に訪ねた時に私に大工になれと言っていました。祖父は大工さんで名古屋市で戦前家をたくさん建てたようです。

名古屋空襲で田舎に疎開して百姓家さんとなりましたが自分の家はこだわりを持って建てました。

祖母はyamasanの生まれる前に亡くなっているので写真でしか知りません。

時々母親からどんな人か聞かされましたが当時あまり興味もなく断片的にしか知りません。特に祖父は再婚しましたので前妻さんの話はしなかったです。

今日、叔父を訪ね話をしたのですが叔父が若いころの思い出の自分史を書いていたのを見せられ驚きました。祖母の祖父は桐たんすの会社をしていて大きく商売をしていたようです。祖母の父はハイカラさんで放蕩屋さんだったようです。祖母はお嬢さん育ちのようでしたが家が傾き、たまたま大工仕事で祖母の家に出入りしていた祖父と知り合い(本当に働き者の祖父だったようです)結婚したようです。祖父は戦前名古屋市内に4軒長屋をたくさん建て家賃収入で祖母と私の母と叔父を養っていたようです。

名古屋空襲で名古屋市内は焼け野原、叔父は戦争に駆り出されていて家を離れ、祖父と祖母は田舎へ疎開、yamasanの母親は名古屋市内で仕事をしていて空襲に遭い一人田舎迄何とかたどりついたとのこと。

叔父は耳が聞こえなくなりましたが耳元で大きな声でしゃべれば聞こえ、いろんなことを教えてもらえました。今教えてもらったことはyamasanにとっては幸福なことでした。

叔父いわくyamasanの母親は疎開先の田舎で父と知り合い結婚して、慣れない農作業(すべて手作業で田畑を開墾しました)をよくしたもんだと言いました。そうですね農機械もない時代にみんなよく生きるために頑張りました。叔父は勉強が好きで戦後しばらく中学の先生をしてその後会社員になりまして定年を迎えたひとです。

今日はyamasanのファミリーヒストリーでした。お客さまも先祖のことを聞けるうちに聞いておいてほしいです。

叔父もうれしく話してくれましたwww